プロ野球の今昔
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プロ野球
元横浜大洋ホエールズの清水宏悦氏、元西武ライオンズの守備の名手・上田浩明氏、そして元中日ドラゴンズ、太平洋クラブライオンズでプレーした日野茂氏に、昔と今のプロ野球の話を聞いた。
2軍の試合、投手と捕手がずらりと並ぶ打線
現在ではファームの組織も充実しており、観客が入る球場や練習施設なども充実している。そしてプレイする選手も多く、若手が成長し、ベテランが調整する組織になっている。
しかし以前は、保有選手枠が60人の時代もあった。そうなると、1軍が約半分、残りの30人くらいがいるものの故障で休んでいる選手などもおり、2軍の試合はいつもギリギリの人数で行っていた。そして、キャッチャーやピッチャーが内野手や外野手を守り、何とか試合をしていたという。
試合前になると、2軍監督から投手陣に「今日野手で出場したいやついるかー」と聞かれ、手を挙げた選手が守備に就いていた。またある時は、相手チームから選手を借りていたこともあったという。
ピッチャーやキャッチャーがずらっと並ぶ打線を見て、相手投手は打たれるわけにはいかず、投球するのを嫌がったという。
上田選手がプレーした1980年代後半もこのような状況だったこともあるようで、今のようにファームの組織が充実したのは、つい最近のことのようだ。
すべてが違った巨人
まず1960年代や70年代は、プロ野球といえば巨人だった。それは人気だけではなく選手の待遇も他球団とは全然違ったという。地方遠征に行くと、巨人のナインは一番良いホテルに宿泊していた。食事も他球団から移籍した選手が驚いたというほどで、他球団の選手はそれをうらやましそうに見ていたという。
また選手は通常は個人事業主という形で球団と契約する。しかしそのころの巨人は読売グループの興行を行う会社に社員として、企業年金など福利厚生も充実していた。(※今ではそのような形では無いようです。)宿泊、移動、食事、すべての面で巨人は球界の盟主だった。
スカウト活動
球団の格差といものは選手だけでなく、球団スタッフにも差が表れていた。巨人のスカウトはタクシーなどを使い効率よく選手を視察していたが、他球団はバスや電車など公共機関を使って移動をしていたという。しかし球場であったり、高校や大学などの練習グラウンドは、公共交通機関の駅などから離れたところにある事も多い。そこで、ある球団は巨人のスカウトのタクシーに同乗して移動したりしていたという。
また巨人のスカウトは旅費にある程度裁量が認められていたようだが(今はそうではないらしい)、他球団のスカウトは行ったところやかかった費用は細かく報告し、領収書を出していた(今はどこも当然だろう)。しかしある球団は、選手の視察に行く前にキッチリと予定を報告しなければならず、ひどい時には大会の試合の開始時間や終了予定時間まで報告していたという。
西武でスカウトをしていた日野氏は「スカウティングは現地にいって何が起こるかわからない。見に行った先で相手の監督をと会う機会が得られたり、他に良い選手がいるという情報が入ったら、そこに見にいくという事もある」と話す。スカウトにとって満足なスカウト活動は出来ない状況だった。
そのような時代だったが、清水氏も上田氏も日野氏も、楽しかったと笑う。古き良き時代というものなのだろう。
(Professional baseball view 編集部)
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