*

【終戦記念日特集】8月15日、日本の野球の終戦記念日

公開日: : プロ野球

 8月15日は終戦記念日である。そして日本の野球にとっても、8月15日は終戦記念日なのだ。

 2000年8月15日、横須賀スタジアムで行われた湘南シーレックス(現横浜DeNAベイスターズのファーム)と日産自動車の試合が行われた。これは、日本のプロ野球と社会人野球が分断した1961年の「柳川事件」以来、初めて行われたプロ野球とアマチュア野球の対戦だった。

日本野球の戦争の始まり、柳川事件

 まず簡単に日本の野球における「プロ野球」と「社会人野球」の戦争について、その発端となった柳川事件を簡単に説明する。

 1961年はまだドラフト会議は無く、プロ野球は直接社会人チームの選手と契約をすることができた。しかしそれでは社会人チームも、社会人大会に向けてチーム作りができない事から「ある期間はプロ側が契約をしないという協定」を結び、プロ側もそれに従っていた。

 しかし1961年に、プロ野球退団者の社会人チームへの受け入れに関するプロ野球側の提案を社会人野球側が拒否したため、プロ側も報復として協定を一方的に破棄し、中日が日本生命の柳川福三選手と契約をした。

 これに対し社会人野球側は、プロ野球との断絶を宣言しプロ野球退団者の受け入れを拒否した他、プロ野球と社会人チームの対戦もできないようになってしまった。こうして長い長い「プロ野球」と「アマチュア野球」の戦争が始まった。

 

2000年8月15日

 それから40年近くが経ち、あるニュースが飛び込む。同じ横須賀スタジアムを練習場所にしているプロ野球・横浜ベイスターズのファーム球団である「湘南シーレックス」と、社会人野球の強豪「日産自動車」が試合を行うという。

 湘南シーレックスは2000年1月にできた球団で、アメリカのようにファームチームでも独立採算化をしようという横浜ベイスターズの方針で立ちあがった球団で、さまざまな新しい取り組みをしていた。プロと社会人の関係も柳川事件から40年が経ち、徐々に溝は浅くなっている雰囲気もあった。

 柳川事件以降初となるプロアマ交流戦が設定されたのは、「8月15日」だった。

(※Wikipediaでは、柳川事件後最初のプロアマ交流戦が2001年8月15日となっていますが、最初の交流戦は2000年8月15日です。ただし「公式戦」では無かったようです。)

 

マスコミを抑える

 プロアマ交流戦は非常に大きな出来事だった。特に野球を取材するマスコミにとっては話題となり、また野球ファンにとっても「プロがアマチュアに負けでもしたら恥だ」「わざわざそんなことをしなくても良いのでは」という声もあった。

 そして2000年8月15日、横須賀スタジアムはそんな大勢のマスコミと、湘南シーレックスのファン、そして日産自動車の社員などが集まり満員となっていた。過熱するマスコミを抑えたのは、当時、湘南シーレックスの監督をしていた日野茂だった。日野は試合前にマスコミを集めてこう言った。

 

 「これは、プロとアマの始まりでもある。この試合を、勝ち負けだけで報道したら許さない!」

 

 湘南シーレックスのメンバーを見ると、1998年に豊田大谷高校からドラフト1位で入団した古木克明、1999年にPL学園からドラフト6位で入団した七野智秀など、高校卒の選手が多かった。対する、日産自動車野球部は1998年に都市対抗で優勝するなど社会人屈指の強豪チームだった。

 日野は「ワールドクラスの選手がいるチーム」と日産自動車を見ていた。

 日野はこの試合で、古木克明をショートで初めて起用し、七野智秀をライトで出場させた。共に社会人野球の選手との対戦で、守備、バッティングを学ばせる為に起用したという。

 

2-1で湘南シーレックスが勝利

 スタンドは満員の観客で、湘南シーレックスのチームキャラクターが日産自動車の方に加わって応援したりと、お祭りのような盛り上がりを見せた。

 しかし、日野や戦っている選手達は「プロとして負けない」と必死だったという。試合は2回に七野のホームランで1点を奪ったが、9回表に日産自動車が追いつく。そして9回裏、湘南は先頭の田中一徳(PL学園・1999年ドラフト1位)が四球で出塁すると、バッテリーエラーで2塁に進む。そこで3番を打つ福本誠に日野は送りバントのサインを送る。

 バントが成功してバッターは4番の宮内洋がライトへ犠牲フライを放ち、湘南シーレックスがサヨナラで勝利した。プロのチームの3番打者が送りバントで送り、4番の犠牲フライで勝利する、まさに必死の戦いがこの中に見られた。

 試合の翌日、このプロとアマの試合はそれほど大きく取り上げられなかったように思う。しかし、もし湘南シーレックスが負けていたらどのように報道されただろう?その報道のされ方によっては、これ以降プロアマ交流戦は行われなかったかもしれない。

 

日本野球の終戦

 翌年以降も湘南シーレックスと日産自動車の交流戦は定期戦となり、毎年8月15日前後に行われた。しかし2009年に日産自動車が休部して交流戦が終わると、2010年には湘南シーレックスが再び、「横浜ベイスターズ」に戻っていった。

 それでもこれがきっかけとなり、プロアマ交流戦は大学との試合も当たり前のように行われるようになった。そしてプロが試合に負けても大げさに報道されたりする事はない。

 そして2013年、社会人野球、大学野球、高校野球なども侍ジャパンの元に一つとなり、プロの一流選手といっしょに社会人や大学生の選手が加わって台湾と試合を行った。

 

 8月15日、日本の「プロ野球」と「社会人野球」の戦争は、1つの戦いによって幕を閉じた。

 その中には、湘南シーレックスと日産自動車の取り組み、日野のプロとアマに対する思い、そして負けられないと戦った選手たちの勇敢な戦いがあった。

(記事:Professional-view Baseball 編集部)

関連記事

yamazaki,_at_Yokohama_Stadium

横浜DeNA・山崎康晃投手がすごいのは投げる球だけではない

2014年に横浜DeNAにドラフト1位で指名され、新人最多セーブとなる37セーブを挙げて新人王獲得確

記事を読む

石毛宏典

西武ライオンズはこれから上がっていく、石毛宏典氏が話す

西武ホールディングスの株主総会が行われ、西武ライオンズについて株主より厳しい意見が出たようだ。元西武

記事を読む

a1130_000551

プロ野球と梅雨の季節

 梅雨の時期を迎えている。プロ野球は3月から10月までの長いシーズンを戦うが、最も自分のペースを乱し

記事を読む

ishige2

石毛宏典氏が語る、スランプに落ちる瞬間と2年目のジンクス

プロ野球選手は143試合の長丁場を戦う、この間に何度か調子のよい時と悪い時を迎える。プロ野球で16年

記事を読む

yokohama

野球のテレビ離れ

かつては巨人戦はすべての試合が地上波で全国中継されるなど、テレビとプロ野球中継は密接なものだった。し

記事を読む

gorin

東京オリンピック、野球の実施の課題~その1~

 2020年の東京オリンピックで野球、ソフトボールの実施の可能性が徐々に高まってきた。オリンピックに

記事を読む

石毛宏典

石毛宏典氏が2016年シーズンを振り返る:セリーグ編

2016年のシーズンについて、元西武ライオンズの石毛宏典氏に振り返ってもらった。今日はセリーグ編。

記事を読む

nagoya

12球団の開幕前の想定と開幕してから ~セリーグ編~

 プロ野球も開幕して2週間が過ぎ、対戦カードも一巡した。各球団とも開幕前に想定した力が出せているチー

記事を読む

a0001_009104

野球の魅力 ~体型に関係なくいろんな才能に活躍を与える球技~

 野球の魅力について1回目では、団体競技でありながら、個人vs個人が注目されるスポーツということを紹

記事を読む

notes

プロ野球の名将のよもやま話、石毛宏典氏、日野茂氏が語る

プロ野球には名将と呼ばれる監督がいる。石毛宏典氏はプロ野球時代に根本陸夫監督、広岡達郎監督、森祇晶監

記事を読む



  • 解説者:日野茂氏(元横浜ベイスターズヘッドコーチ)


    解説者:石毛宏典氏(元西武ライオンズチームリーダー、オリックスブルーウェーブ監督、四国アイランドリーグ創立者)

    石毛宏典オフィシャルブログ「石毛漢動」
    石毛宏典オフィシャルブログ「石毛漢動」


    取材協力:元プロ野球選手が教える野球塾
    「ZEROベースボールアカデミー」
石毛宏典
石毛宏典氏が源田壮亮選手を絶賛

 社会人から西武ライオンズ入りし、1年目から遊撃手として活躍をした石毛

石毛宏典
東北楽天の快進撃と千葉ロッテの低迷を分析する

2017年のパリーグは、5月10日終了時で東北楽天が貯金12をもって首

石毛宏典
レギュラー争いと選手の成長

プロ野球では、同じポジションに複数の選手がいる。チームの各ポジションで

石毛宏典
今年の西武ライオンズは行ける?石毛宏典氏に聞く

4月18日時点で7勝6敗、3位の位置にいる埼玉西武ライオンズ、辻監督に

バッターボックス
頑張れ女子野球選手!

野球は、見るのも面白いし、プレーするのも面白い!そして男子だって楽しけ

→もっと見る

PAGE TOP ↑